「教わる」と「発見する」の違い

 前回の記事で、古文は問題文や注も含めたパズルだということを書きましたが、ある受験生が模試で同じことを「発見」し、そのつもりで解いたら全部できたという報告をしてくれました。スバラシイ!😍

 もちろんその生徒さんには、折々同じアドヴァイスはしていたのですが、他の注意や単語の暗記、毎回の読解の苦労に紛れてでしょうか、そこまで響いていなかったらしい。でも勉強が進んできて、失敗も繰り返しながら問題を解き慣れてきて、大問全体を見る余裕が出てきた時に、「苦労して古文を一言一句読まなくても、注にも選択肢の中にも現代語でいっぱい内容が書いてあるぞ」と発見し、これを活用しようと思いついたわけです。

 教わったことを「ふーん」と思っている段階と、その後しばらく時間がかかっても自分であらためて「発見」するのとではまさに段違いです。点数にも表れます。同じことを教えていても発見に至らない場合もありますから、努力と向上心と工夫の賜物ですね。私の教えてきたことは意識下の刷り込みくらいにはなったと信じて、またちまちまと種まきを続けていきます。

 ちなみにこの生徒さんは、もう一つシンプルながらも重要な「発見」をしたのですが、この方に敬意を表して、ここでは内容はヒミツです。🤗