「どんだけ勉強したんじゃい!」

 昨日の続きです。「あんなに勉強したのに」と昔を振り返る人たちは、もし本当にそんなに勉強したのなら、英語を「話す」までいかなくても「読む」能力は相当身につけていたのではないでしょうか。それすらも身についていなのだとしたら、本当はそんなに勉強していなかったか、少なくとも英語の基礎が身につくのに必要なだけの勉強をしていなかったかでしょう。

 私たちは生まれた時からずっと日本語漬けで暮らし、仮名や漢字の練習を10年以上も続け、ようやく少々まともな日本語を操れるようになります。言語を身につけるこの難しさを思う時、たかだか6年間、それも学校の授業は週に5時間程度で、「あんなに勉強した」と思っていた大学生の自分が恥ずかしいです。そして、的外れな英語教育改革を唱えてきた人たちが同じことを言っているのを聞くと、「どんだけ勉強したんじゃい!」とツッコミたくなります。

 私の少ない海外旅行経験から言うと、主に先進国からの観光客を相手に、屋台で土産物を売っている発展途上国の人々は、各国語の日常会話に長けています。日本人が来れば日本語で、イタリア人が来ればイタリア語で、十分に通じて時には笑いを取れるような会話をします。生活がかかっていて必死だからです。

 日本人が英語を話せなくても自国で十分に生活をしていけると言うのは、英語力向上の面からだけ見ればマイナスかもしれませんが、とてもとても恵まれたことだと思います。