究極の記述式問題〜自由英作文〜
選択式問題の怖さと記述式問題の優しさについて書いてきましたが、記述式の究極形態と言えるのが自由英作文です。テーマだけが日本語か英語で短く与えられ、自分の体験や意見を「自由に」述べるものです。「60〜70words」とか「100語程度」とか、おおよその語数が指定されていることが多いですが、順天堂大学医学部の最後の問題のように、二十数行分の罫線がダーっと引かれているだけのこともあります。
記述式にはできた分だけ評価してくれる優しさがあるとはいっても、さすがに大型の自由英作文になると心理的なハードルも高いです。そのためでしょうか、受験生の中には学校や予備校で言われたことを自分がラクになるように解釈して、努力を避けたがる人もいます。「内容は採点の良し悪しに関係ないと言われた」と主張して、「もっと内容を充実させるように」という私の助言になかなか耳を傾けようとしなかった生徒さんもいました。ふたりの言う「内容」の指す意味が違っているのがお分かりでしょうか?
予備校で言われたり、稀に問題文に注意書きのある「内容は採点に影響しません」と言うのは、たとえば政治的に偏りのある意見を書いたり、キリスト教系の大学でキリスト教を批判するような内容を書いても、それを理由に減点されることはないという意味です。私の言った「内容」と言うのは、具体例や意見の根拠など、記述に論理性や説得力を持たせる深さという意味です。
例えば先日の駿台全国模試の自由英作文は、自転車の免許制への賛否を問うものでしたが、「私は賛成です。なぜなら車に免許があるように自転車にも免許があったらいいと思うからです。たくさんの人が自転車に乗っています。私も自転車で学校へ行きます。みんなが安全のために免許を取るべきだと思います。だから私は賛成です。」などと、いくら書いたところで、文法・綴りのミスがなくてもほとんど得点は望めないでしょう。
ある程度の文字数の文章は、これほど浅い内容(というより、ほぼ内容がありません。)では書くことができません。何をどういう順番でどう書いていくかという思考訓練を、「内容は関係ないから」と自分に都合の良い曲解を盾に怠った人と、地道に続けた人との差は、当然のことながら入試の結果に表れます。
※自由英作文は一人では最も勉強しにくいものだと思います。響教育研究所では、中高生の普段の授業でも受験時の自由英作を想定して英語の授業をしています。またすでに受験生になってしまった人も、一人一人に合わせてなるべく近道で英作文力を向上させるように指導をします。不定期や単発の授業にも対応していますので、お気軽にお問い合わせください。