試験に出ないからやらない愚かさ

 このブログで何度も書いていることですが、医学部や東大を目指す受験生であっても、中学1・2年で学習したはずの内容に抜けのある人は大勢います。それが進歩の重い足枷であることをこちらは痛感しているので、発見したらすぐに手当てをして、重要なことだと認識してもらうために、「中学校で習ったはずの、ごく基本的なことだよ」と念を押すこともあります。

 すると反応が二つに分かれます。一つは、「え、やばいでしょ、オレ……」とショックを受けてあらためてポイントを質問したり確認したりして、次週までに直してくる人。もう一つは、ショックを受けるのは同じでも、「あ、じゃあ別に大学入試じゃ出ないか!」と安心してしまう人。次週にチェックを繰り返しても、何度でも忘れます。

 この「簡単すぎて出ないからやらなくても大丈夫」という考えには、二つの大きな誤解があります。

「簡単すぎて出ない」→ いや、結構出ます。

 私大医学部でも比較的入りやすいとされる大学では、文法の基本知識を問う問題が出題されます。中には中学範囲の知識を正しく使えば正答できるものが意外に多くあります。きんと勉強してきたライバルたちは当然それらを得点しますから、自分だけできなければ合格は遠のきます。そもそも「簡単すぎる」のに「できない」というのは矛盾ですね。

「出ないからやらなくて大丈夫」→ 当然理解している前提の出題に対応できない。

 東大などの国立大や医学部上位校では、確かに文法の理解を問うシンプルな出題はありません。だからできなくていいのではなく、それらを当然理解しているものとして(長文の中にたくさん出てきていたりする)、さらに高度な問いが出されます。前提となる理解がないのに、高度な問いに答えられるはずがありません。

 英語は単独知識の集合ではありません。家を建てるときに「下の方のレンガはどうせ見えないから抜いちゃってもいいや」とはなりませんよね。愚直に下から積み上げ組み上げていくのです。