試験に出なくてもやる愚直さ
先日、ある医学部受験生に英語の個別指導をしました。集団授業を受けているのですが、そこで毎回演習する長文の、特に大意要約ができなくてとにかく困っているということでした。
集団授業とはいえ少人数なので、担任の先生はとても丁寧に指導してくださっているのですが、さすがにつきっきりで要約の作り方を見ることはできません。(そんなことをしていたら講師は過労死してしまいます。)そこで私がサポートに入ったわけですが、実に3時間近く、質問はたくさんくる、わかるまで何度でも解説する、要約を作ってもらう、添削する、また質問がくる……を続けた結果、別人のように優れた要約がいくつも完成しました。
この生徒さんの受験する予定の医学部では、そもそも記述問題が少なく、長文の大意要約もおそらく出ません。この生徒さんの素晴らしいところは、それでも愚直に、そして必死に、要約に取り組むところです。受験生の中には「こういうのはどうせ出ないからやらない」という人がいます。効率よく勉強していると思っているのでしょうが、実は自分の苦手を直視することから逃げて、成長の機会を逸しているのです。
たとえ同じ形式の出題はなくても、要約に取り組む過程で知識の抜けが明らかになったり、文脈や段落へ意識が向くようになったり、特に重要な部分に気づけるようになったりします。そして、それらはどれも英語力そのものの向上につながり、他の形式の出題に対しても点数の増加となって表れるものです。